スタジオサイトはこちら http://n-balletarts.com

deep love

今日は高校時代に出会った本を思い出した。

僕が高校にスポーツ特待生で入った時代の事、、、。

練習時間が減るのが嫌で、学校の近くのアパートで独り暮らしをしていた16歳の時の事。

時に明かりがついていない家に、自分で鍵をあけてはいることすら、寂しくて耐えられなかった時期の事。

押し入れにはいったままの布団の間に顔をうずめて大声をだして泣いたな・・・誰にも気づかれないように。

でも、隣に住んでいた新米の担任の先生にはばれていたらしい。

目が腫れている僕に一冊の本をくれた。

「愛、深き淵より。星野富弘」

彼は体操の先生をしていた人で、ある日、生徒に見本を見せる際に、落ちどころが悪く首から下が動かなくなってしまった。昨日まで、筋肉隆々に動いていた人が突然、動かせなくなる事は、日本人がいきなりアメリカに行くよりも素人が突然、プロになるよりも、訳がわからなくなることは間違いない。

現実を受け入れるために悩み、苦しみ・・・表面的なことがなくなるしか選択権がないようなレベルでシンプルな生き方をしている方だと思う。

ーはなしょうぶー

「黒い土に根を張り

どぶ水を吸って

なぜ、きれいに咲けるのだろう

私は大勢の人の愛の中にいて

なぜみにくいことばかり考えるのだろう」

img_0

その本は、こんな言葉が口だけで描いた美しい絵と共にあり・・・

16歳ながら感動して泣いてしまった記憶がある。今でこそ、彼の作品はカレンダーや色々な所で見かけるが、当時は

この本一冊だったと思う。

あれから20年後の今、もっともっと深い所での感動があり、改めて出会うべくして出会ってしまった本なのだな・・・と

思う。

人は何を見ても、誰と出会ってもその中で学ぶことがあるはず。プロから学ぶアマ、アマから学ぶプロ、先生から学ぶ生徒、生徒から学ぶ先生、親から学ぶ子供、子供から学ぶ親・・・。だからどんな立場であっても堂々とやるべきことを見つめていればいいんだと思う。プロはもっと凄いプロから学ぶだけではなく、親は本に書いてあるもっと立派な親から学ぶ事ではない気がする。

今あることから沢山の課題を頂けるはず。

この本を読み返して、そうやってちゃんとある出会いに気づきたいな・・・と思った。

なのに、いつも邪魔をするのは不安からのいらない「プライド」だったんだな。

「花に描かせてもらおう」だって・・・。「花を咲かせてあげる」じゃなくて。

僕はクリスチャンではないけれど、好きな本の数冊に「すべて疲れた人、重荷を背負ってる人は私のところへ来なさい。

私があなたがたをを休ませてあげます」っていう聖書の言葉がでてくる。

その言葉を読んでかれは「この神の言葉にしたがってみたいと思った。クリスチャンといえる資格は何も持っていない私だけど、「来い」と言う人の近くに行きたいと思った。」って・・・。

僕はまだまだ疲れていないし、重荷を背負っていない。でも、その程度ではきっとわからない言葉。

どんなに疲れても、重荷を背負ても今をちゃんと見つめていれば、どうにかなる気がしてきた。

素直に感謝できる人間になってみたいと改めて思った。

「二番目に言いたいことしか

人には言えない

一番言いたいことが

言えないもどかしさに耐えられないから

絵を描くのかもしれない

うたをうたうのかもしれない

それが言えるような気がして

人が恋しいのかもしれない」

はい・・・だから踊るのかもしれないな・・・・。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中

タグクラウド

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。